南紀田辺会の足跡


南紀田辺会会則


■南紀会のあゆみ

「南紀会三十年の歩み」   

                                 前南紀田辺会会長 竹中文良  (田高第一期生)

     (同期生・庄司郁央君の記録による)

     昭和43年11月26日、最高裁判事奥野会長の退官慰労会がダイヤモンドホールで行なわれ、

     それが事実上の「南紀会」の発足に繋がりました。

     その時世話役としてご協力戴いていた志波竹次郎様、福本忍様等のおかげで、この会の名称が正式に「南紀会」に決定。

     昭和45年11月、岩本暁氏近鉄球団監督就任祝賀会が行われた。

     その後は年に1回か2回のペースでこの30年間を続けてまいりました。

     その当時高名な方々から色々なお話をお聞きできることが楽しみであり励ましになってきたように思います。

     印象深い講演会には東大名誉教授脇村義太郎先生の「石油問題と日本経済について」とか

     国際協力事業団総裁法眼晋作先生の「国際情勢と国際協力」と言った訓話が今でも頭に残ります。

     その他、早川崇代議士、辻原弘一代議士、玉置和郎代議士の皆様や中央大学那須宗一教授、上智大学石本康雄教授、

     お茶の水大学名誉教授森下はるみ様、立命館大学名誉教授山下健次様、防衛庁防衛局長日吉章様、

     その他各方面の第一線でご活躍されている先生方からお話を伺い、そのあとは恒例の食事会で談話を楽しみました。

     この南紀会が30年の長きにわたり継続できましたのは、最後の会長を務められた「故福本忍先生」のご尽力の賜物であり、

     ここに深く感謝申し上げます。     

                    田辺高校同窓会新聞第6号(平成18年10月発行)  『南紀田辺会からのご挨拶』より抜粋

 

南紀会 昭和のあゆみ                                 平成20年1月15日

昭和 40年(1965)  発足年    本石町 ヨーデル 
    41年(1966)  世話人会    銀座・多賀谷
   世話人会    銀座・多賀谷
    42年(1967)  在京田邉中学・高校同窓会    法曹会館
    43年(1968)  奥野健一氏最高裁判事退官慰労会  南紀会に決定   ダイヤモンドホテル
    44年(1969)  奥野健一氏受賞記念祝賀会    法曹会館
    45年(1970)  岩本尭氏近鉄球団監督    銀座・大飯店
    46年(1971)  北浦喜一郎野村證券代表取締役  ドル防衛について(日本への影響)  
    47年(1972)  那須宗一中央大学教授  日本人の老後について  霞が関ビル33F
    48年(1973)  早川崇氏  衆議院勤続25年在職議員表彰  ホテルニュージャパン
    49年(1974)  早川崇衆議院議員  バングラディシュの近況について   ホテルニューオータニ
    50年(1975)  脇村義太郎東大名誉教授  石油問題と日本経済  東京ステーションホテル
    法眼晋作国際協力事業団総裁  国際情勢と国際協力  東京ステーションホテル
    51年(1976)  早川代議士厚生大臣就任
 辻原代議士病気全快祝賀会
   ホテルニューオータニ
    52年(1977)  奥野健男(文芸評論家)  紀州の文学と風土   東京ステーションホテル
    53年(1978)  早川崇衆議院議員    東京ステーションホテル
    早川崇衆議院議員当選祝賀会    東京ステーションホテル
    55年(1980)  弟子丸泰山ヨーロッパ禅仏教会会長  ヨーロッパの禅仏教   東京ステーションホテル
    早川崇・大島弘両代議士当選祝賀会    東京ステーションホテル
    56年(1981)  殿水幸一氏会長就任
 辻原弘一衆議院議員

 ソ連・東欧諸国雑感 
 霞が関ビル33F 
    57年(1982)  喜多幡道夫(政治評論家)  政界四方山話   霞が関ビル33F 
    58年(1983)  早川崇先生 追悼ゴルフ大会    霞が関カントリー倶楽部 
 竹中文良日赤医療センター外科部長  ガン治療の現況   霞が関ビル33F
    59年(1984)  田ノ岡宏国立がんセンター放射線研究部長  実験室から見たガンの話  東京ステーションホテル
    60年(1985)  玉置和郎衆議院議員  日本の防衛問題について  東京ステーションホテル
    61年(1986)  中根専正鶴見女子高校長  禅仏教の話  東京ステーションホテル
     辻原先生を偲ぶ会    霞が関ビル33F
    62年(1987)  石本泰雄上智大学法学部教授  海と国際法   東京ステーションホテル
    63年(1988)  日吉章防衛庁防衛局長    霞が関ビル33F


南紀会 平成のあゆみ  
                               平成20年1月15日

  講演者  題目      場所 
 平成 元年(1989)  竹中 文良  ガン手術を受けた私   日赤医療センター外科部長     東京ステーションホテル
      2年(1990)  竹中 誉  国際化と人の自由化  日本IBM常任取締役    東京ステーションホテル
      日吉 章  中東湾岸危機について  防衛庁防衛局長    東京ステーションホテル
      3年(1991)  中瀬 喜陽  田辺―熊楠―弁慶  田辺市文化財審議委員    東京ステーションホテル
     日吉章氏防衛庁事務次官就任祝賀会      東京ステーションホテル
      4年(1992)  田所 竹彦  国際問題について  朝日新聞社編集委員    東京ステーションホテル
      5年(1993)  中村 慶一郎  今後の政治動向について  政治評論家  殿水会長辞任
 志波武次郎氏会長就任 
 東京ステーションホテル
      前田 勲男  政治の行方  参議院議員    東京ステーションホテル
      6年(1994)  竹中 文良  平成患者学      
   前田 勲男  法務大臣に就任して      
      7年(1995)  宮本 倫光  戦後50年世界の対日観      東京ステーションホテル
      8年(1996)  稲井 孝之  相続・遺言・その他      
      9年(1997)  笹尾 慶蔵  石化工業の現状と国際競争力    志波会長辞任
 福本忍氏会長就任
 東京ステーションホテル
     10年(1998)  吉水 霊章  わたしのいのち  総本山光明寺執事    東京ステーションホテル
     11年(1999)  金田 正一  今年のプロ野球の展開と裏話  プロ野球名球会    八重洲ルビーホール
     12年(2000)  古川 萬太郎    日中友好協会理事長    八重洲ルビーホール
     13年(2001)  森下 はるみ  形・動きを読む  御茶ノ水大学名誉教授    八重洲ルビーホール
     14年(2002)  山下 健次  司法改革の行方・裁判員制度を中心に  立命館大学名誉教授  八重洲ルビーホール